え、何か反応一杯あって怖い&蜂PとぎょPのオールスターもの比較 とりあえずの完結編
続空さんへのアンサー記事風。
続空さんへのアンサー記事をぎょさんが書いたのでボクもなんか書く
この流れを見ていてどうしても気になっていたんだけど、うまく言葉にできなかったことを今回20選をまとめてみてなんとなくわかった気がするので書いてみる。あくまでもわたしの感想ということでよろしくお願いします。
結論から書くと、ぎょPの作品のダンスは踊れるけど、蜂Pのは(多分)踊れない。そして、シンクロメインでイフェクトを多用しないステージPVとしては蜂Pの作品はかなり変わっている、です。
例題として今回20選に選んだ、
と
を比較してみましょう。
蜂P作品ではカットとカットの間で「ダンス」が繋がってないのがわかると思います。そして、同じ曲の1番2番で別の振りをしていることもわかると思います。ぎょP作品ではサビの終わりで同じ振りをしてますね。
この2作品を仮に実写で撮った場合どういう撮り方になりでしょうか。おそらくぎょP作品では、彼女たちをステージに立たせ、複数のカメラで撮り、その後編集という流れでしょう。流れそのものは蜂P作品も同じでしょうが、蜂P作品の場合、「違う曲のステージ」で撮った映像も平気で作品内に取り入れていることだと思うのです。
つまり、ぎょPの場合、基本的に同じ振り付けを踊っている彼女達を様々なカメラから撮っているのに対し、蜂Pの作品は別の振り付けをしている。ようするに別のステージにいる彼女達の映像も取り入れているということです。蜂P作品はモンタージュに見えるのです。
カット毎のシンクロでは甲乙つけ難いお二人ですが、お互いが「全然似てない」というのはこういうことなのかな、と思った次第です。
ぎょPの中ではアイマスというゲーム作品内では別々のモーションも、ぎょPの作品の中ではひとつの振り付けとして構成されているんじゃないかと思うわけです。つまり、ぎょPの頭の中では彼女たちはぎょPが振りつけたダンスを踊っている。ぎょPはそれをカメラに収めるという次第かと。
対して蜂Pの場合は曲に合わせて常に最高のカットを持ってくる。彼女達が連続して踊っている必要はない。持ってくる先はどこでもいいというわけです。
蜂Pの作り方はPVの作り方としてはすごくまっとうと言うか普通な作り方です。PVのカットの間で「ダンス」が連続している必要はないので。曲に良い映像素材を合わせるという手法ですね。ただ、通常のPVはステージだけを撮るということは逆に少ないです。ステージPVで通常のPVの手法で作品を作っているところが蜂Pの珍しいところなんだと思うのです。
手法として蜂Pの方が珍しいと書きましたが、ダンスシンクロで有名なステージ作品は大体ぎょPと同じような作りをしていると思います。しーなPや透-架Pの作品を思い出していただければよいと思うのですが、仮にカメラを引けば彼女達は連続して踊っていると思うのです。
では、なぜ蜂Pのステージ作品はそうなっていないのでしょうか。答えは出自にあると思っています。
ニコマスはそもそもノーマルPVの変形から始まりました。アイドルマスタータグ最古の作品がこれです。
多くのPに取ってはダンスが繋がることは自明だったんじゃないかと類推するのです。
確認できるぎょPの最古の作品もこのフォーマットに則っています。
しかし、ストーリーが入るPVや、歌詞に合わせた作品ではダンスを繋げることができません。というか、ダンスを繋げるよりストーリーに合わせたモーションを当てた方が作品としてよくなるのです。当たり前ですよね。曲に合わせた例として八位Pの【アイマス2】 なにかとおしゃれなアイドル番長を見て下さい。
カット内でのシンクロはすばらしいですが、「ダンス」は繋がってませんよね?そんなのは当たり前だろうと言われるでしょうけど。
そこで蜂Pの昔の作品を見てみましょう。
カット間で「ダンス」に連続がないことがお分かりいただけたと思います。この作品はシューティングゲームに出てくる敵機を真が模すという作品です。敵機らしさを優先しているためカット間での「ダンス」の連続を捨てているのです。見た目は真がステージで踊っているだけなのでステージPVとくくられてもしかたない面はありますが、ある振り付けを選択する意味が全然違うわけです。
蜂Pはストーリーや特にシチュエーションの必要ない楽曲にも以前の手法をそのまま援用したのではないかというのがわたしの感想です。
ここからは上記のわたしの想像があっているとしての余談です。
どっちが難しいんだろう?
答えはどっちも難しいです。
ぎょPをはじめとする多くのシンクロPVの手法ではダンスを繋ぐことを脳内でやらなければなりません。モーションがひとつの曲の場合は楽になりますが、脳内で踊っている彼女達を捉える難しさにはかわりがありません。
複数曲のモーションを拾う場合、「ダンス」の繋がりという手がかりがあるのでそこだけは楽かもしれません。それでも、脳内でステージで踊っている姿をイメージできなくてはならないことにはかわりありません。手がかりがあったとしても最後まで踊れるダンスをイメージできるか、は別問題ですから。
そうやって出来たステージですら、漫然と撮っていては面白い作品になりません。ここでカメラワークの出番なのだと思うのです。
蜂P的なやり方はどうでしょうか。曲に合わせて気に入ったカットを貼るだけなら、バースト使いまくりでウハウハ。ところがこうはならないのです。蜂Pのすごいところは「ダンス」が繋がっていなくても「作品」としてはカットが繋がりまくりだからです。実際に踊ったらその振りから次の振りに繋がらないだろう?という疑問を一切持たせないセンスが必要なんだと思うんです。
蜂Pのブログの
ボクは意図的にカットワークという言葉を多用するけども、これは言ってみればぎょさんの芸風がカメラワークなので、それに対応する言葉を考えた結果生まれて来た造語みたいなものです。ボクはカメラを動かすのが苦手なので、そのぶん、カット割りごとにインパクトのある絵面を狙うようになり、その結果が見切れだったり、極端に狭いフレームワークだったりするわけです。
に引っかかってたんですけど、何となく答えが出た気がしたので書いてみました。大外れの可能性が大きいですけど。